無知の智
連投になるが、またまたツイッターで気になるつぶやきを見たのでそれについて考えることがあったので、更新する。
あまり知り合いを批判したくはないのだが、いや、それは違うだろうと思ったことがあったのである。まあどうせこのブログ見ないだろうし、気にしないでおこうということで……。とりあえず先に謝っておく。ごめんなさい。
で、そのつぶやきというのが、
「デモをする人は国際政治学を勉強するか死ぬかどちらかにしてくれ」
というものである。
まあ気持ちはわからないでもない。
普通は、批判をするためにはそれなりの知識が必要だし、その知識の上でようやく「ここは正しいがここは違う」という形でなされるべきである。
だがデモは、ただ「批判」という側面だけを切り取ってはいけないと思う。
つまり「不安」というところを見過ごしてはいけないと思うのだ。
ああやって行進をすることで、「こういう部分が怖いんです」という一般市民の意思表示をしているということを忘れてはならない。
つまり無知であるが故に、「解決すべきポイント」をわかりやすい形で炙り出してくれるというわけだ。
もしそれが知識人からしてみれば的外れな意見であるならば、理解してもらえるように説明すればいいのだ。「不安」を解消してあげれば、ちゃんとした人はわかってくれるし、その方針に理解を示して抗議をやめるか、また新たな「不安」を持ち出してくるはずだ。
もちろん的確な意見を発信しているならば再検討することが必要だろうし、そのまま押し切るというのは愚策だろう。よく政府はやりがちであるとは思うが。
だから僕がデモをする人に対する発言をするならこうである。
「デモをする人は人の話を聞いてくれる人にしてくれ。ただ批判したいだけの人は死んでくれ」。
実際にデモをしてる人が人の話を聞ける人なのかは知らないが。